2006-04-20 第164回国会 衆議院 農林水産委員会 第9号
前は海中に投棄しておったそうですけれども、そうもいきませんので、このしょうちゅうかすの肥料化の工場誘致というものをやりたいということでやっておりますが、何せ畜産とかしょうちゅうかすの問題が起こりますと、公害の問題が先にいきますものですから、誘致する、しょうちゅう用カンショを増反させるというのも、私たちの方では、私も農業会長ですけれども、今職員が後ろに来ておりますが、なかなか進めることができない状態でございます
前は海中に投棄しておったそうですけれども、そうもいきませんので、このしょうちゅうかすの肥料化の工場誘致というものをやりたいということでやっておりますが、何せ畜産とかしょうちゅうかすの問題が起こりますと、公害の問題が先にいきますものですから、誘致する、しょうちゅう用カンショを増反させるというのも、私たちの方では、私も農業会長ですけれども、今職員が後ろに来ておりますが、なかなか進めることができない状態でございます
実は、この前、ここの隣におられる太田農業会議会長の御推薦で福島県の飯舘村というところに行ってきて、佐野ハツノさんという女性農業会長にお会いしてきました。同じ立場でおられて、今日の話を聞いていて、ああ、非常に御苦労なさっているところとかいい点とかいろいろ感じるところありました。
この農業会長大会のさまざまな全国の議論の中には、本当に切実な声があります。 山口県田万川町の声。農業の現状から考えた場合、夢のある農業とはほど遠い状況である。後継者が農業を継がないことや、新規就農者が数年で離農といったことが数多くあるなど、夢と現実のギャップが大き過ぎる。国はもっと思い切った支援策を実施しないと、農業そのものが崩壊しかねないと危惧している。こういう声。
これは向こうの勝浦の町長も議会議長もあるいは農業会長も言っていましたけれども、ほんとにこれではもう高校卒の収入になるかならないかという実態である。これは大阪の場合にも私ども具体的に調査をしてきましたけれども、昨年度の場合でも生産費を償うだけのものは出ていない。大阪の場合の生産費は、昨年度大阪府泉北農業改良普及所の公的調査によってもキロ当たり生産費三十六円二十銭になっております。
まあ私かつて、終戦直後農業会長から農業協同組合長をやったんですが、当時食糧調整委員というのを仰せつかりまして静岡県の代表で、アイオン台風、あれは二十二年でしたか、あの時分供出が進駐軍からひどくきまして三日三晩がんばったことがありますが、ずいぶん血の出るような交渉を続けまして、交渉、供出割り当てを話をつけたんですが、あの当時で、進駐軍がおって何でもかんでも天下り命令でやった時分でも、そういういわゆる談合
お手許の履歴書で御承知のように足鹿君は、米子市農業会長、鳥取県農業会理事、鳥取県販売農業協同組合会長、全国販売農業協同組合連合会理事等に就任し、昭和二十六年十一月米価審議会委員に任命され、本年十一月任期満了となつた者であります。
笹山君は農林省山林局長、農林省水産局長、同開拓局長、農林次官に在職したものであり、足鹿君は米子市農業会長、鳥取県農業会理事を経て鳥取県販売農業協同組合会長、全国販売農業協同組合連合会理事となり現在に至つておるものであります。又片柳君は食糧管理局次長、同長官、農林次官等を歴任したものであります。
それから市町村の農業会長を市町村長にした方がいいじやないかという御意見がちよつと出ました。川西委員は必ずしも御賛成でなかつたのでありますが、原案の気持は現在でも農業調整委員会、農地委員会いずれも会長互選ということに制度上相なつております。その制度を新しい農業委員会においても踏襲をして、互選ということにきめたわけであります。
私は昔農業会長をやつておりました経験がありまして、技術員というものの力を私は非常に重く見ておる人物であります。これについては一つ将来一村一名……一名じや少ないのです。もつと殖やすような方法に一つお考え願いたい。これはまあ希望であります。現在の農業団体のあの指導振りを見ますと、戰時中に我々が農業会長をしておつたときに比べてみますと、隔世の感があるのです。正導面において……。
かくのごとく同君は実業界において成功されました立志伝中の人でありますが、一方、町会議員、農業会長、県会議員等に挙げられ、郷土の政界並びに産業の発展のために盡瘁したその功績は大きいものがあるのでございます。更に志を中央の政界に馳せられまして、参議院議員に全国選出議員として任期六年を以て選ばれたのであります。
私は愛媛県の農業会長をやつて、現在でもその生産陣を担当しています。全乾連の方も幹事をしておるのでありますが、これも私はやめることにしております。全部やめてしまつて、正面からこの問題にぶつかつて行きたいと思う。私は自前の手前みそを述べようと思わぬ。
たとえて申せば、森某は村長をやり、あるいは農業会長をやつておつたが、專横きわまりない男で、戰後その職を追われるや、田中某を使つて人を畏怖せしめるような行動をとつておるということがある。あるいはまた同樣の文句の中でありますが、戰爭後いろいろな経済違反があつて罰金に処せられたことがある、ある事件は執行猶予になつたという事件があると、盛んにこれを非難攻撃するような起訴状を書いておるのであります。
五月七日付の追起訴状には「被告人森章は太平洋戰爭中埼玉縣大里郡折原村の村長及び農業会長を勤めていたが、当時から專横をきわめ、終戰後その職を追われたが、その後も常に暴力的傾向に出で……背後に……寄居地方において虎のごとく畏怖せられている相被告田中雄一郎を使用して、同地方における惡質なるボスとして一般から畏怖せられている者であるが」云々ということを書いてあります。
この人がかつては村長をやり、農業会長をやつて土地の有力家でありますが、一たび逮捕されると五十何日は接見禁止をされ、そうして三月の二十八日に拘禁されたものがいまなおそのままでおるという状況なのであります。その事情はどういうことで檢事が保釈願に意見をつけるかというと、常に証拠隠滅のおそれがある、あるいは追起訴をする氣持でおるから釈放は絶対にいけないという意見を述べておる。
私は農業会長をやつておつた関係から、農業協同組合にはほんとうの一筆調査というものがあるはずだと思う。現在の農業協同組合でもそれを受けついでおりますから、筆調査がカード式になつて名寄帳として出ているはずです。ほんとうにこれを活用させることができますれば、これは現在の台帳として完備することができます。
これは自作も小作も地主もないという円満なところにおいて、初めてそうした交換分合というようなことが実行できるのでありまして、私はまだ戰爭中のことでありましたが、農業会長時代にこれを実行させた実例があります。そういうことから考えましても、先ほど私が委員会で申しましたように、この農地委員の選挙にあたりましても、そうした区別なく、村は一体となつて、だれが出ようとも村一体の代表者である。
御承知のように埼玉縣は全國でも一番特殊物件と申しますか、放出物件と申しますか、戰争関係の物資が沢山あつたので、非常にそれは問題が多い筈なんでありますけれども、幸いに埼玉縣が終戰後直ちに関係官並に市町村長、農業会長なんかを集めてこういうわけだからこういうものを大切にしろというので、きつく達しをしたために、非常な物件を取扱つたにも拘らず、問題は概してなかつた。
○証人(前田啓太君) それは私には全然分らないのですが、あとで私一遍記録を謄写で貰つて見て見ますと、殆んどその当時の村長である宮久三治、私が農業会長で、向うが村長でありました宮川三治という村長の一派のいうことを、そのまま信用して全部やつたのじやないか、それで私の言うこととか、或いはそういうふうな縣團関係のことは全然調査せずしてやつていたというふうに私は考えられるのですが、事実又檢事としましても、町村壮年團長
○証人(前田啓太君) 戰時中私も出獄します当時、非轉向のままで出ましたし、村の農業会長、それから役場の農業会の方の役員をやつておりましたので、その仕事の範囲内では協力したという形になつております。
請願者は岐阜縣惠那郡中津町農業会長、布谷額次郎君外八名によるものであります。その内容は表題によつても明らかのように、農業会が所有いたしておりまする金融債券の補償をお願いしたいということでございます。何とぞ御採択のほどお願いいたします。 —————————————
さらに繭において非常な違算が生ずるならば、これまた別種の保險金が交付されるのであるから、ぜひ蚕を捨てずして、荒廃する桑園はそのままとしてただちに他から桑を買い入れて蚕を捨てずにやつてくれということを村長、農業会長を通じて極力お願いいたしました。
なおまた群馬縣などは農業会長の臼田一郎さんから要望がありましたが、何としても即効性の肥料を早く特配してもらいたい。あるいは家畜、家禽等の飼料を何とか特配してもらいたい。あるいは資金も、さきに申しましたように、被害農家一軒に五万円程度は最小限度で、五箇年無利子ぐらいで貸してもらいたい。こういう要望もあつたのであります。なおまた供出割当の補正を願いたい。また税金の減免を願いたい。
○的場委員 これは畜産の振興委員会の会長並びに農業会長等が出しました請願であります。すなわち、ほかのいろいろな方面へは報奬物資等が配給になるけれども、どうも畜産関係の者には何らの恩惠がない。であるから畜産関係の生産者に対しても、薪炭とか、主要食糧とかいつほかの生産者と同じような取扱いをしてもらつて、報奬物資等がある場合には配給をしてもらいたいという趣旨であります。